2014年07月19日

「みんながそう言ってる」は詭弁

 〔約2900文字|読了の目安:5.8分〕

 自分の意見を主張する上で「みんながそう言ってる」と言う人に、小学生ならともかく、いい歳した社会人にも数名出くわした(そのうちの1人は某ゲームアナリスト)

 なので書くが、「みんながそう言ってる」というのは詭弁だ(多数論証という)

 これは「みんながそう言っている。だから正しい」、つまり多数派だから正しいという理屈だ。だが多数派だからといって正しいとは限らないのは歴史を見れば明らかだ。

《多数派でも正しくなかった(ない)例》

・『セカンドライフ』にマスコミ各社が注目、多数の企業が参入したが、一度も盛り上がることはなかった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/Second_Life

・江戸川乱歩賞で落選した作品が、後に受賞作よりも評価されることがある。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/江戸川乱歩賞

・流行はその時代の多数派が支持するものだが、後世に批判されることがある。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ポストモダン

・「○○速報」といったデマを流布するサイトがアクセス数を集め、「○○bot」といったパクりツイッターアカウントがフォロワーを集める。

・少し前までは、少年の凶悪犯罪は近年増加しているといわれていた。しかし統計上は増えているとはいえないことが知られるようになった。
 http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/nendo_nfm.html
 http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/60/nfm/excel/shiryo3-03.xls

・いじめは多くの場合、多数が少数に対して行う。

・1692年、アメリカのセイラムで魔女狩りが起き、無実の人が魔女と断定され約200人が逮捕、約20人が処刑された。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/セイラム魔女裁判

・社会常識から逸脱している考えが、ある集団だけに通用することがある。
 例)連合赤軍の集団リンチ、女子高生コンクリート詰め殺人事件
 https://ja.wikipedia.org/wiki/集団思考

・松本サリン事件で、警察、マスコミは、第一通報者をほぼ容疑者として扱ったが、後に無実が判明した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/松本サリン事件

・アメリカ大陸には先住民が住んでいたにもかかわらず、白人は自分たちがアメリカ大陸を発見したと思い込み、先住民を迫害し、自分たちの国を建国した。

・ナチスは選挙で第一党になったが、現在ではドイツの歴史の暗部になっている。つまりみんなが支持したものが、結果的に大ハズレだった。

多数決は不確かである

 多数決が不確かなものであることは、こういう例を考えればわかる。

 (1)ダム建設を巡り、賛成派の集会に行けば賛成が多数派になるし、反対派の集会に行けば反対が多数派になる。つまり何が多数派かは、場所・区切りによって変わる。

 (2)原発の建設を巡り、建設地周辺の町は風評被害を恐れて反対するが、それ以外の町・村は交付金目当てに賛成する。多数決を取ると賛成派が勝ってしまうが、一部の人に負担を押しつけているため公平ではない。

 (3)2と同様の例で、少子高齢化の進んだ国では高齢者が多数派なため、高齢者向けの政策を掲げた政党が選挙で勝利する。しかしそのことでますます少子高齢化が加速し、国は滅亡する。

 (4)アメリカ大陸の例で、もしかしたら白人の中に、先住民にも住む権利があると考えた人がいるかもしれない。しかし「多数派が正しい」という前提の元では、そういう少数意見は黙殺していいということになり、顧みられない。だから「民主主義=多数派が正しい」というのも間違いで、最終的に多数決を使うからこそ少数意見に耳を傾けなければならない。多数派の意見だけでは視野が狭くなるからだ。

−−

 多数派であることと正しさの間に論理的な繋がりはない。自分の意見を主張するなら、論理でその正しさを示さねばならない。

 「みんながそう言ってる」と言ってしまうのは、相手を説得する論理を持っていない証拠だ。自分の意見を補強する最終手段として、多数派の力を借りる行為。

例外もある

 と書いておきながら現実はややこしいのだが、「みんながそう言ってる」ことがそれなりの判断基準になることもある。論理では結論が導き出せない場合だ。

 例えばマナー。マナーは人同士の合意によって決まるもので、絶対的な基準はなく、時と共に移り変わる。

 電車内(優先席以外)で携帯で話すのはマナー違反とされているが、人同士が話すのはマナー違反とはされない。どちらも喋り声という点で同じで、音量も大体同じだ。なぜ携帯で話すことだけがマナー違反なのだろうか。ここに明確な論理はない。

 これがマナー違反とされるのは、それを不快に感じる人が多いから、つまり多数派だからとしかいいようがない(韓国では、電車内で携帯で話すのは普通らしい)。多数派の力によって物事が決まる例だ。

 喫煙に対する制限も時と共に変わってきた。タバコの害なんて昔から明白だったのに、時代が進むにつれて街中、駅、オフィスなど、至る所で禁煙場所が増えてきた。これも禁煙運動が広まった(多数派になった)ためであり、タバコの害を示す新たな証拠が見つかったからではない。

−−

 同じことは商品の開発、ゲームや映画の製作などにも言える。どういうものが売れてどういうものが売れないか、といくら論理的に考えても、予測するのは難しい。結局は世に出すまでわからない。だからといって企画をすべて通すわけにはいかないから、売れるかどうかの判断を偉い人たちが下す。

 その判断も絶対に正しいわけではない。売れると思ったものが売れなかったり、売れないと思ったものが売れたり、あるいは最初は売れなかったが次第に売れるようになったとかいう例はたくさんある。

 マナーや、商品が売れるかどうかというのは「人がどう感じるか」、つまり感情だ。感情は論理では説明できない部分が多い。何が正しくて何が間違っているか決めるのが難しいから、“仕方なく”多数決や偉い人たちで決めるわけだ。

 民主主義の多数決もこれだ。多数決で決めたことが正しい保証なんてどこにもない。ヒトラーの例のように、とんでもない間違いを犯した過去もある。それでも他にいい方法がないから“仕方なく”使われている。

まとめ

 「みんながそう言ってる」というのは、

 ・論理で結論が導ける場面で使うのは詭弁。
 ・論理で結論が導けない場面では一定の判断材料にはなるが、正しさを証明するわけではない。

 たとえ後者であっても多数派の力を借りる行為であることに変わりはないため、この言葉を使う人は矮小に見える。相手を一時的に黙らせることはできるが、納得させることはできないと思った方がいい。

 マナー違反を諭すなら「それはマナー違反だ。みんながそう言っている(多数派だから俺の意見は正しいんだ)」と言うよりも「それは不快に感じる人が多いからやめときなさい(他人に配慮した方がいいよ)」と言った方が効果的だろう。

posted by 葛 at 18:45 | Comment(0) | 論理・詭弁
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